2001-11-30

焼きいも屋さん

思い出の絵葉書  (1)




 ああ秋なんだ、じきに冬が来る。駅前広場に屋台を引いた焼いも屋さんが来ると僕は実感する。
 小柄なおじいさん。髪を短く刈り上 げ、紅い童顔には深く、けわしい皺が数本刻まれている。綿入れの半纏を着込み、古びた前掛けを締め、お客さんを待つ間、大きなポケットの中で小銭をじゃらじゃら鳴らしている。四角く刈られたツツジの潅木の前に寄り添うように立ち、沈黙している、しゃべれないさつまいものように。
 葡萄酒色、中は黄色のほくほくのいもが薪で焼かれる。錆びてゆがんだ細い煙突が空を凝視し、青空の中に煙を吐く−務めを果たして。おじいさんは交通安全を願い、古い屋台にレモン色の縞模様を吹きつけた。よれよれな蜂。そして、焼き窯の脇には紙袋を可愛くはさみ、おまけに帚もぶら下げ、いつでも広場を掃き清められるようにしている。

 冬の風物誌、焼いもの香りと金属窯の中で燃える本物の火、超近代的な大都会の中、ここでしか見られないもの。
 僕は知っている。焼いも屋のおじいさんが前掛けのポケットの中でこぶしを暖めながら、ひと冬ここに佇んでいることを。そして三月下旬のある日、突然屋台に大きな紙が貼られ、たどたどしい字でこう書かれるのだ。焼いもを買ってくれた皆さん、ありがとう。明日からはお休みです。秋までさようなら!

地下スタジオ

思い出の絵葉書   (2)




「彼は超リッチだよ」僕の友人ティボルは焼きいも屋さんのほうを目配せしながらこう言った。 どこへ行くにも欠かせないCDウオークマンのヘッドフォンを首にかけて。日曜日の昼下がり、僕たちはサッカー仲間を待っていた。
「話し相手がほしくて、ここに来てるのさ。日向ぼっこもかねて。焼きいもで生計立てているわけじゃない。爺さんのくつろぎの場所知っているかい? 邸宅の地下室だよ。贅沢な彼のハイファイスタジオがあるのさ。そこに入り、ちょこっと塵を払う。厳粛な
静けさの中で最高級の機械が轟きわたる。やがて、ヘビメタが耳をつんざく。音量を最大限に上げ、ソファーの背にもたれ、彼は“ニルワナ”を聴く。地面が共鳴し震動する。
もぐら達は狂気におびえ、遠く離れた畑へ亡命する」
「そして、さつまいもたちは地面の下から浮き上がる」
「馬鹿じゃない、あなたたち」 近所の美雪があきれかえる。
「だって、あのおじいさん、すっごく高く売りつけてるのよ。それに怒りんぼう。赤鬼みたいな人」
「そういえばそうだ」僕は認める。
「ある時、写真を撮ろうとしたら追い払われたことがある」
 でも、その後、僕はおじいさんはあのままでいいのだと、考えた。番人は厳しくあるべきだ。安売りしてはいけない。火や煙や暖、つまりノスタルジーの炎を守っている人は。
今でもおじいさんを見かけると、ずっと昔ヨーロッパに戻ってしまったティボルを思い出さずにはいられない。そして僕は、空想のハイファイスタジオに耳を傾け、伝統を守る人の涅槃の境地ニルワナへの精進に想いを馳せずにはいられない。

平和のからす

思い出の絵葉書  (3)




「 なんて素敵で軽やかなマウンテンバイクな の!」 
 公園に立つ美雪はうらやましそうに眺めていた。
「ああいうの、子どものころ持ってたら、夢中になって乗っていたでしょうね」
 その青年はいつもの練習コース、坂道に向かう。木立の丘をジャン プして跳びおり、盛り土の小道を突っ走る。この難関突破がコースのハイライトだ。青年は芝草の空き地に円を描き─草を踏み分け、管理人を嘆かせることになるのだが─再び丘の上に登る。
 去年、僕は一部始終を目撃した。二人の男が小さなトラックでやって来て、青年とその友達の目の前で、そのコースでいちばん大事な丘を畑のように地ならしした。二人の青年は文句も言わず、木立の後ろに見を潜め、じっと見ていた。そして、公園の管理人たちが去ったあと、再びコースに戻った。
 今日は、十歳ぐらいの女の子たちが来ている。お兄ちゃんたちのスタートをちゃんと待ち、そのあと、自分たちの自転車で走り出した。赤と黄色の縞模様のセーターを着ている女の子の自転車には、買い物かごもついている。女の子たちも上手にジャンプしている。青年たちと言葉を交わす必要はない、何も言わなくても通じ合っている。平和。春だ。
 束の間の小休止、誰も走っていない。と、その時突然、一羽のからすが木立から飛びたち、美しいアーチを描いて羽音も立てずコース上を低空飛行した。やがて、さーっと羽をつぼめ、ふわっと枝の上に舞い降りた。

リンゴ、さくら、林檎

思い出の絵葉書  (4)



五月 

「芳しい薫りがテラスに漂いわれらが古き林檎の木、花開く」
 春になるといつもこの詩を思い出す。西永福の桜の木を眺めながら、いつしかデブレツェンの庭を僕は想像している。果物の木々が綺麗な花嫁さんのようになって、そのまわりを蜜蜂が飛び交っている庭。そう、僕がどこに住んでいようと故郷は存在する。再生は訪れる。
 高校時代の文学の先生、キシュ・タマーシュ先生。僕たちは彼のことを、顔に刻まれている皺のために実際の年齢より上にみていた。「文学は心の安らぎ」を信条とする、優しい先生と評されていた。が、先生の口からこの言葉を直接聞いたことはなかった。
僕は先生からなにを学んだのだろう? 三十年経った今、「オデュッセイア」や先生自身が
小説にまで描いた詩人チョコナイについて、彼が何を語ったか思い出せない。
 ただひと言、1970年に先生が口にした言葉を僕は今でもはっきりと憶えている。その時先生が教室のどこに立ち、窓から空の彼方をどんなふうに眺めていたか。彼の声の響きもはっきりと聞こえる─ あたたかく躍動する響き─驚くこと、夢見ることのできる人の声を。
「インドを、運んできてくれるんだね!」
 先生は僕たちのことを理解している。よろこびに僕は身震いした。なぜ、僕たちがそのグループ、四人のイギリス人に夢中になっているのかわかってる。アジアに行き、ツィターまでも演奏に取り入れ、東洋からインスピレーションを受けた若者たちに。

りばーさいど てらす

思い出の絵葉書  (5)


 
「友達のニクソン大統領、今日来ないの?」ママさんは優しく尋ねてくれた。着物を着て下駄を履き、髪を束ねて髷を結っている。彼女は年寄りのお客さんの肩をそっと撫でて送りだす。
 公園の奥深く取り残 された二軒の家。その横にたたずむ崩れかかった桜の巨木の下に椅子とテーブルがいくつか置かれ、自動販売機が数台並んでいる。客はセルフサービスで飲み物を買う。りばーさいど・てらすはそんなレストラン。まわりは 緑一色。向こうに小川、こっちには静かな池。
 午後になるとお年寄りの常連客が自転車を止め、アルミ製の赤い色の長テーブルを囲んで、ビールや酒を飲み、将棋をしたり世間話をしている。後ろの家の壁には一面のフレスコ画。海の中の世界。アダムがシスティーナ礼拝堂からここに来ている。でも、創造主の神にかわって可愛い人魚が座り、髪を指で梳かしている。そして、天使ではなく河童の子どもたちが泳いでいる。エヴァが楽園でもいだあの林檎の実と戯れて。
 そよ風が心地よく吹く。僕はコカコーラのパラソルの下、いつものアイスココアをすする。苔むした幹の美しい桜の巨木に目を休める。
「まるで踊っているようだね」
 長い間があき、やっと返事が返ってくる。
「バレリーナ。桜の木の精。仰向けになって両足を上げてる。ほーら空に向かって。」

僕たちのコーチ

思い出の絵葉書   (6) 




 日曜日、サッカーの試合終了と同時に、僕たちはジャージの上に軽くネクタイを結び、祝祭のための合唱団のように一列に並んだ。ヨージだけがびっく りした顔で、ジーンズ片手にそこに立っている。着替えはじめようとして。
 ヨージが日本にはじめて来たときも、同じようなジーンズとスニーカーをはいていた。同じ格好で毎週日曜、遠くの研究所から僕たちサッカー仲間のところにやって来た。
いつも彼は朝から晩までコンピューターの前に座っていた。それから三年後、彼はその姿のまま、古ぼけたスーツケースを手に帰国し、ブダペストの大学教授に戻った。今回は、学会で東京 に来たが、彼は西永福サッカーチームにちゃんと参加できるよう、スポーツバッグも持参した。まるでこのときのために遠くの大陸から飛んできたかのように。
やっぱりね、僕たちはうなずき合った。僕たちのコーチから命じられたのだ。空想の中のコーチ、ピシュタおじさん。
 世界の遠い片隅で、磁石を見失いがちなこの地で、僕たちは心の底から威厳ある人物像を必要としていた。映画や小説の主人公、かつての先生やコーチへ記憶の糸を手繰りながら、それぞれが空想の中のピシュタおじさんをこしらえた。こうしなさい、そうしたほうがいい、と僕たちにどなりつける不動の男性像を。日曜日のサッカーに参加することは、ある種の倫理的義務だった。
 合唱団にヨージも加わった。富士山の絵が描かれた年代ものの銭湯で「新雄鹿」なんていう歌を練習したこともあった。僕たちは絹のリボンにつるした木製のメダルを彼の首にかけた。コーチから授与された金メダルを。

青緑色

思い出の絵葉書   (7)




“プールでいつも「戦争と平和」を読んでいた青年”が、学生時代僕が好きだった小説に登場する。
このイメージはずっと僕の中に焼きついて離れなかった。贅沢そのもののイメージ─夏、水辺にいて
長編小説を読める平和。
 ボール遊びをしたり、プールに飛び込んだり、追いかけっこしたりする子どもたちの叫び声が聞こえてくる。お父さんの首にしがみついたり、浮き袋の上で揺られる幼い子供たちの歓声。本から目を上げないと、ここが僕が子供のころのプールでなく、和田堀公園のプールだということには気づかない。ロッカー室の木造の建物は青く塗られ、地面は芝でなく緑色のプラスチックが敷き詰められている。塀の向こうには永福町の家々と朱色の神社の建物。
 黄昏時、背泳ぎしながら空を眺め、古き楽園にいるように僕は浮かんでいる。

芸術を体感 

思い出の絵葉書   (8)

 善福寺川の堤に小さな男の子がいる。彼が抱きしめている少女は大理石のように
滑らかな、大きくて丸い石の上に座っている。軽やかな夏服を着て。ブロンズの像。目は半ば閉じ、口は微笑んでいるようにわずかに開き、頬はお日さまの愛撫へ、台座に刻まれた銘が示す「川の声」へと向けられている。
 男の子は少女の首に抱きつき、悪戯っぽく何度も口にキスをしている。三人の女性─お母さんと、お姉さんと、おばあさんらしい人 ─が、そこからひっぱっていこうとする。でも、火に油を注ぐようなもの。男の子は少女にしがみつき、ますます激しくキスし続ける。
 おばあさんは困ったように立ち尽くし、お姉さんは怒ったように遠ざかりながら背を向けている。お母さんは笑って息子を引き離そうとしている。芸術に巡りあったこの男を。

椿の電話ボックス

思い出の絵葉書  (9)




 秋の陽射しを浴びて真珠色のススキがふわふわ風に揺れている。そんな空き地も、この十年の間にマンションで埋まってしまった。細長いバラックが崩され、古い庭や木造の家がみな消えてしまった。
 だが、僕の住んでいる道には崩れかかった一軒の家だけが今も残っている。スポンジのような石塀の向こうに棕櫚の木やとげ、蔓、花がもつれ合っている。このあたりでいちばん早く咲く玄関口の梅ノ木もやがて切られてしまい、ここにもマンションが建てられてしまうだろう。今はまだ、ちょっと立ち止まり格子窓を眺めることができる。何百年を経てつくり上げられた木造の粋。
 細い脇道の角に椿の茂みに抱かれた緑の公衆電話、僕がかつて見た中でいちばん素
敵な電話をかけるところがあった。今そこにある自転車置き場は、まるでこう呟いているようだ。誰かにロマンチックな気分で電話をかけたいなら携帯を買ったほうがいいよ。
公園のどこかで薔薇の花壇を見つけなさい。

退職

思い出の絵葉書   (10)



 赤い木の葉が駅前広場をさらさらと行き交う。僕の視線は自然に焼きいも屋さんを探している、が彼の姿はどこにもない。いつものあの場所は空っぽ。
 僕はちょっとだけ希望をもっていた。三十五年も続けたのでもう引退する、と春、おじいさんは僕に話してくれた。毎年の夏、田舎の運送会社のようなところで働いているが、もうそこに帰ると。僕にもわかるように広場の端っこにある銀行の建物を指さし、君のためにこのビルをあそこへ運んでやるよ、と言った。
 僕たちの商店街の道路がアスファルトから色とりどりの石畳へとかわり、新しいコーヒーショップやピカピカの弁当屋さんが開店した。急にエレガントな街になった。過去に固執してすべて昔のままで残ってほしいと思っているのは僕だけかもしれない。
 今、焼きいも屋さんはどうしてるかな? 遠い遠い山々の向こう、しっぽの短い子豚が穴を掘る彼方で、毎日、銀行のビルを空高く飛ばしている、とさ。

渦巻きキャラメル

思い出の絵葉書   (11)



 あたたかい光が三本のイチョウの木と、その下に散る黄金色の扇子の上に降り注いでいる。十二月初旬のある夜。不二家、ファミリーレストラン。
 テント様式につくられたくつろいだ空間の建物。ガラス窓から緑の茂みが見える。
入り口近くのガラスケースにヨーロッパ風のクッキーとケーキ。隣のカウンターには、サンタクロースのような赤いお菓子の箱、そしてミルク飴とおもちゃ。その横に、ペコちゃん人形が立っている。お客さんを迎えたり、見送ったりしてくれる。ペコちゃんは、僕が子どものころ食べたペティ・チョコレートの乳兄弟であり、マツコウ・チーズの精神的な親戚でもある、と感じている。
 ある時期、ここで美雪と何時間も楽しい時を過ごした。
 決まったテーブル、サラダバー、コーヒーそして慰め茶。
 今夜も僕は本を片手に、不二家へ向かう。 母国が懐かしくなる時、祝日のひとときを過ごすのにいちばんいいところ。
 ミルキーな甘い流れ。ペコちゃんと渦巻きキャラメル。

で、日本はどうですか?

思い出の絵葉書   (12)



 格好いい、僕は呟いた。線路沿いの道を家路に着きながら、この線路沿い、このホームをなぜそんなに気に入っているのか考えた。
 確かに、六月に豊かに咲く紫陽花のためだけじゃない。僕が旅に出たり、外国から戻ってきた時にほっとする小さな広場と駅舎のためだけでもない。清潔で、美しい車両のためでも、ホームの上から並んでいるお店や、広い空、雲、夜の月を眺めながら、踏み切
りの警報が聞こえてくるまでホームで電車を待つのが楽しいからだけでもない。
 すると、今まで考えてもみなかったことが思い出された。そうだ、僕のお祖父さん
は鉄道員だった。不思議なことに、その村の駅のホームもちょうどこのぐらいの高さだったし、祖父母の家の庭は線路から、今僕が住んでいる家とちょうど同じ方角にあった。
子供のころ、僕は高いホームの上に立って電車を待ちながら、野原や庭、遊び場を眺めた。
 現在が、無意識のうちに過去の地図に重なった。東京は昔のヨージャ村に。西永福
はもう、僕の外ではなく内に存在している。僕にとって切り離した日本というものはない。
 質問はこう聴こえる。で、人生はどうですか? この世は気に入ってる?