2001-11-30

僕たちのコーチ

思い出の絵葉書   (6) 




 日曜日、サッカーの試合終了と同時に、僕たちはジャージの上に軽くネクタイを結び、祝祭のための合唱団のように一列に並んだ。ヨージだけがびっく りした顔で、ジーンズ片手にそこに立っている。着替えはじめようとして。
 ヨージが日本にはじめて来たときも、同じようなジーンズとスニーカーをはいていた。同じ格好で毎週日曜、遠くの研究所から僕たちサッカー仲間のところにやって来た。
いつも彼は朝から晩までコンピューターの前に座っていた。それから三年後、彼はその姿のまま、古ぼけたスーツケースを手に帰国し、ブダペストの大学教授に戻った。今回は、学会で東京 に来たが、彼は西永福サッカーチームにちゃんと参加できるよう、スポーツバッグも持参した。まるでこのときのために遠くの大陸から飛んできたかのように。
やっぱりね、僕たちはうなずき合った。僕たちのコーチから命じられたのだ。空想の中のコーチ、ピシュタおじさん。
 世界の遠い片隅で、磁石を見失いがちなこの地で、僕たちは心の底から威厳ある人物像を必要としていた。映画や小説の主人公、かつての先生やコーチへ記憶の糸を手繰りながら、それぞれが空想の中のピシュタおじさんをこしらえた。こうしなさい、そうしたほうがいい、と僕たちにどなりつける不動の男性像を。日曜日のサッカーに参加することは、ある種の倫理的義務だった。
 合唱団にヨージも加わった。富士山の絵が描かれた年代ものの銭湯で「新雄鹿」なんていう歌を練習したこともあった。僕たちは絹のリボンにつるした木製のメダルを彼の首にかけた。コーチから授与された金メダルを。