2001-03-14

思い出の絵葉書 (2)

三月  庭と小説  

 好きな本というのは、どこでどんなふうに読んだかを、二十年経った今でもよく覚えているものだ。僕の祖母は、デブレッツェン大学の後ろに広がる森の反対側、ヨージャ村の大きな家でひとり暮らしている。大学生の頃、祖母の家で、初夏の季節を過ごすのがとりわけ僕は好きだった。自然のままの広い庭の草の上にブランケットを敷き、心地よい陽射しのなかで横になりながら─もう試験は終えていたのだろうか?─驚いたり、笑ったりしてエステルハージ・ペーテルの「生産小説」という本を読んだ。
 不思議な構成の本で、小説自体は中味の四分の一しかなく、本当の物語は後半の原注のなかに入っていた。だから、栞を二本使って行きつ戻りつ頁をめくって読まなくてはならない。それは、まるであの頃の僕らの生活を映し出しているようだった。ひとつは複雑ではあっても語ることの少ない公の生活、もうひとつはそれより
ずっと大切で奥深い外界から切り離された個の生活。
 この本を読みわかったのは、優れた作家はまず読み手として自分がどんな本を一番読みたいか、愉快で遊び心に溢れ今までなかったような本を想像し、後はそういう本を書くだけなのだ。できるだけ勇気をもって、ペンが定型のパターンに流れないよう気をつけて。
 良い本からは、日だまりの庭のように晴朗な光が漲り、その世界にいる間中ずっと自由や安らぎを感じることができる。ちょうど祖母の家の庭で感じたように。
 エステルハージの「生産小説」は、現在は学校の教科書としても読まれている。ヨージャ村はその後、デブレツェン市の行政区となり、市営バスでも行けるようになった。