2001-03-14

思い出の絵葉書 (6)

 七月   地下室


夏、ハンガリーに帰郷したある日のこと、道を歩きながら地下室に目を留めている自分に気づいた。もう十年以上も地下鉄、地下街、地下商店街のある日本で暮らしているが、あの暗くじめじめした世界のことは久しく忘れていた。
 ブダペストやデブレツェンで20世紀初頭の古びた住宅街を歩いていると、猛暑のさなか不思議な冷風が歩道と同じ高さの地下室の窓から吹き上がってくる。何週間も、僕はどこへ行っても地下室をいつのまにか見ていた。そして過去、忘れ去ったことを思い出さずにはいられなかった。それらが急に深いところから涌き出て、僕を震わせる。無意識が、なぜ家の下に横たわる地下室に象徴されるのかわかる気がした。
 子どもの頃、この湿った暗い、クモの巣のかかった世界に降りていくのは少し勇気がいった。当時、石炭で暖を取っていたので石炭や薪はここに貯蔵され、古い服や壊れた玩具、中庭で乗っていた三輪車なども、どれも捨てることができずにそのまま放置されていた。
 その夏の終わり、ある晩長いこと会っていなかったクラスメートに再会し、地下のバーに誘われた。時が流れ、ビールを飲んでいるその場所が、子供時代の隣人の地下室であることに僕は気づきはじめた。それは静かな庭のあるカルヴァン派の牧師さんの家で、サッカーボールが高い石壁を越えてしまう度に、呼び鈴を押しては中に入らせてもらったものだ。この地下室は僕の家の地下室と地続きになっていて、今は世界中どこにでもあるようなジャズ・バーにつくりかえられている。
 クラスメートと昔のことを話しているうちに、ふと、自分がどこにいるのか気づいた。四十年後の、忘れられた思い出のなかに座っている。僕は今、現実的にも、象徴的にも、自分の無意識の中にいる。