2017-08-08

文学は


文学は生きることを助ける         
『優れた本を読むことは数世紀前の最も優れた人たちと会話することのようだ』
私が買った小さなノートの表紙にプリントされた言葉です。
ノートを使うたびにこの言葉は私を楽しく考えさせます。
 最も優れた人々。もちろんそういう人たちの話を是非聞いてみたいですね。でも会話は? 会話することになったらちょっと怖い気持ちもあります。私の方からは彼らに何が言えるでしょうか? 彼らはすぐに退屈してしまわないでしょうか?

ところで「優れた本」とはどんなものでしょう? どこで手に入るでしょう?
人類が長年敬い傑作としてきた本はきっとその中に入りますね。友人や好きな人から勧められた本も、読むことは大切な体験になります。
 私が大好きなチェーホフの短編小説の中で勧めているので、古代ギリシャの哲学者エピクテートスの本「談議」を読んでみました。彼が弟子に向かって話した内容を弟子にメモされて書きまとめたものです。本全体は、エピクテートスが人に直接話す言葉になっています。そして聞いていた弟子の代わりに私が聞いたり答えたりしました。
びっくりするほど直接、まっすぐに私自身に話しかけている感じでした。終わったらまた所々を読み直し、大事な言葉をメモしたくなりました。私にアドバイスをしてくれる、大切な話ができる友達が出来たと感じていますので、これからも時々会話するつもりです。
 二千年位前の時代に生きていた奴隷だったエピクテートスに、それとも例えばこの間読み直したアンナカレーニナを書いたトルストイに、私はどんな話ができるでしょう。

この文章をパソコンで、二十一世紀の過ごしやすい都市の明るい部屋で書いていますが、私の一番の悩みは彼らのと同じです。生きて、いつか亡くなること。 私が生きる意味は何か? 勇気がある生きかた、幸せになる生き方。善、友情、思いやりとは何か。年を取ること。病気のこと。 私は今どんな生活をして、 どんな人間関係を持っているか、など。
本を読むという「会話」は作者から私への一方的な説教ではありません。 大事な友人と会話する時のように、大事な本をゆっくりと考えながら読み、本が必要としている時間をきちんと与えてあげたほうが会話しやすくなります。
私はなるべく解説を読まないことにしています。読むとしても、本を完全に読み終わり自分の感想をゆっくり考え、意見をしっかり持ち、簡単に影響されなくなった後、初めて解説や前書き、後書き、翻訳者の説明、作者のプロフィール、時代背景などを読みます。
本より先に読んでしまうと(どんなに詳しい専門家による正しいことが書いてあったとしても)、本を読む自由な、好奇心いっぱいの冒険を邪魔して、自発的な想像を決まった方向へと誘導することになります。私とその本を書いた「最も優れた人」の間に入り濾過器となってしまいます。自分より専門家を信頼しすぎると、「過去の最も優れた人」と出会える大切な機会を逃してしまうことになりかねません。
 自分の目を信じると、本を理解する能力も発達します。これは人を知る力にもなります。
現実の生活の中でも、誰かと仲良くなりたい時は自分の目を信頼するしかありません。噂や他人の意見に頼りすぎると信頼関係は深められませんし、相手が傷付くこともあります。自分の人を知る能力を信頼し、それを発達させるしかないのです。

本との出会いを深める方法の一つは読書会です。
また、私が指導している「物語心理学」も「過去の優れた作家たち」が与えてくれたきっかけを生かしています。短い文学作品を取り上げ、参加者一人一人がその物語についての自分の考えをしっかりまとめてから話し合いを始めます。正しい決まった読み方というものは存在しません。自由に発想することによってその本と参加者の皆さんの間にさらに活発な会話が生まれます。
「ずくぼんじょ」155号 2017年5月 コダーイ芸術教育研究所